last updated 1997/08/19
第96話(全130話)
ちいさなドラゴン(2/2)
ジッと、自分を取り巻く気配に集中したフィンフィンは、ワーターでも赤ちゃんドラゴンで
もない、もうひとつの心が自分へと流れ込んできていることに気づく。その流れを遡るように
して振り返ると、そこにグノートンの巨体があった。昼寝を決め込んでいるはずのグノートン
がゆっくりと重い瞼を開けて、フィンフィンをみつめていた。
グノートン?
彼が、脱出のチャンスだって、そういうこと?
フィンフィンは驚く。だいたいグノートンというのはいつだって海辺でボンヤリ日向ぼっこ
をしてるだけの生き物だ。昔は海に住んでいたのに、いつの間にか潮に流されるようにして浜
へと打ち上げられてしまい、そのまま陸に居ついてしまった生き物だ。ただそれだけの、日々
怠惰に時をやり過ごしているだけの生き物のはずだった。少なくともフィンフィンの知ってい
るグノートンというのはそういう生き物のはずだった。
しかし、いまグノートンはある種の強い意思を持って、フィンフィンをみつめていた。
〈わたしに任せろ〉
そんな心がフィンフィンの心に飛び込んでくる。
〈え?〉
と、フィンフィンは訊き返してしまう。耳で聞くのと違って心で聞く言葉に、聞き間違い、
というのはない。言葉は飛び込んできたままの意味を持っている。口から発せられる言葉は真
実の想いと正反対の意味を告げていることがあるけれど、心の声は決して真実以外は語らない
。だからこそフィンクのようなとくに武器も甲羅も持たない生き物は心を読む力を与えられた
のだ。騙されたり、罠にかかったりしないように、笑顔の裏に潜む敵意をすぐに察知できるよ
うに、そういう自衛のために進化した能力なのだ。だから、グノートンが〈任せろ〉と言って
いるのなら、それはその通りの意味で、聞き返す必要なんか本当はない。
けれどフィンフィンは聞き返してしまう。自分の知っているグノートンと、いま心に語りか
けてきた強い意思と信頼とに満ちたグノートンとがかけ離れ過ぎていたから。
本能が理由もないのに赤ん坊ドラゴンに怯えてしまうのと同じことだ。フィンフィンはそう
思う。自分が知っているはずのこと、というのもじつは勝手にそう思い込んでいるだけで、そ
れがそのまま真実とは限らない、ということだ。
〈ここから逃げ出す方法があるんですか?〉
フィンフィンが訊くと、グノートンはうなずく代わりにゆっくりとその巨体を起き上がらせ
る。そして短い前足で体を支えた。後ろ足は海に暮らしていた時の名残でまだ脚には進化して
いない。尾鰭のままだ。
〈下がっていなさい。怪我はさせたくないんだ〉
言うグノートンにうなずいて、フィンフィンは赤ん坊ドラゴンを口にくわえると、ひょいと
背中に放り上げて乗せ、そのまま倉庫の隅まで退いた。扉のそばにへばりついて悲しげに鳴い
ていたワーターも、フィンフィンから心の声を受け取って、何事だ? と一度グノートンを見
てから隅へと下がった。
倉庫の中央でグノートンは一度激しく吠え立てた。
ヴァオオオオオオオオオオ!
あまりの大きな声に倉庫がビィインと震動する。フィンフィンとワーターは首をすぼめた。
赤ん坊ドラゴンはヒックと一度しゃくり挙げそのまま硬直した。彼らのみつめる視線の先で、
グノートンは巨体を揺すって、壁際までにじり寄ると、尾を高々と振り上げる。ドオオン!
大音響と共にグノートンの尾が壁に打ち付けられる。壁にピッとひびが入った。ここにグノー
トンを運び込んだケダックの人々も、まさかグノートンが居眠り以外の行動に出るとは予想も
していなかったのだろう。だからこんな倉庫にグノートンを閉じ込めたのだ。もしグノートン
の力の強さを知っていたなら、もう少し壁の頑丈な部屋に運び込んだはずだ。
グノートンは二度、三度と尾を壁に打ち付ける。そこはドアのある壁ではなく、換気のため
のダクトが通っている壁だった。正面ではなく、横の壁をグノートンは叩き壊した。正面を壊
せば、自分も逃げられるのに、敢えて彼は横の壁を壊した。壊れた壁の向こうに換気口のトン
ネルが口を開けていた。
〈あそこから逃げられる〉
〈きみは逃げないの?〉
フィンフィンが訊くと、グノートンは自嘲するように自分の体を見た。
〈こんな体でコソコソ逃げられると思うかい? わたしが一緒じゃすぐにみつかって、また捕
らえられてしまう。きみたちだけで逃げるんだ。わたしが入り口を塞いでおこう。そうすれば
少しだろうが、時間を稼げる〉
言うグノートンをフィンフィンは目をパチクリさせて見てしまう。
いままでグノートンのことをどう思っていたにせよ、それはすべて間違いだった。フィンフ
ィンはそう思う。グノートンについて知っている、と思ってたことは全部白紙に戻さなきゃな
らない。グノートンは決して昼寝だけしている怠け者ではなかった。グノートンはすべての生
命を育んだ海をみつめながら、この星全体のバランスを監視していたのだ。山の高みから星を
見下ろすアーバムと同じように、グノートンは海の表情の変化を見守っていたのだ。そのこと
をフィンフィンはグノートン自身から教えられた。グノートンはこう言った。
〈きみたちは 橋を 渡る〉
予言めいて、ひとりうなずくグノートンの目に急かされて、フィンフィンはワーターに先導
させ、自分は赤ん坊ドラゴンを背中に乗せて通気口のダクトの中へと足を踏み入れて行った。
一度振り返ると、グノートンは出入口のドアの前にデンと大きなお尻を当てて、また居眠り
をはじめていた。
橋を渡るって、どういうことかな?
フィンフィンはちらりと考えた。グノートンの心からは〈何も心配はいらない これですべ
てうまく行く〉と言っている心がかすかに伝わってくる。それはフィンフィンへと語りかけて
いるのではなく、グノートン自身が自分へと語っているひとり言のようだった。
何が「うまく行く」のだろうとフィンフィンは考えようとして、けれど狭いダクトの中を腰
を屈めるようにして歩かなければならないので、それに集中し、グノートンのひとり言の意味
を深く考えるのは中断した。フィンクは泳ぐことや飛ぶことは上手だけど、歩くことだけは、
あまり得意じゃないのだった。
(つづく)
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